出身地:中国青海省

震災時の様子をお聞かせ下さい。
地震の時は仙台市内にある自宅のアパートにいました。4月から就職で東京の会社で働くために地震の前日まで東京でアパートを探していました。引っ越しの準備をするために仙台に戻り、荷物の整理をしている最中に地震が起きました。日本に8年住んでいるので地震にはある程度慣れており、すぐに収まるだろうと思っていたら、冷蔵庫の扉が開いたり、テレビが倒れたり、今までの地震と比べて大きかったので少し怖くなり、机の下に潜りました。揺れが収まった後に、普段から非常時のためにパスポートなどの貴重品をまとめている袋を持って自宅近くの大学のグラウンドに一時避難しました。
  一時避難所では外国人留学生も多く余震におびえていましたが、近所の日本人のおじさん達が優しく接してくれました。おじさん達はラジオで大きな音量を出しながらゆっくり日本語でわかりやすく説明してくれたり、食糧を集めて避難所に行くよう指示をしてくれました。
私は自転車で動いた方が早いと思い、自転車でコンビニエンスストアーやスーパーを何軒か廻ったのですが、混雑していて何も買えませんでした。自転車で色々な場所を見ているときに驚いたのが、あるスーパーで建物も半壊し、警察もいない中で店員の方が店内にいたお客様を避難誘導し、停電のため消えていた信号機の代わりに店員の方が道路で交通誘導を行っていたことです。日本のサービス業のすごさと防災意識の高さを間近で見ることができました。
その後、臨時避難所となっているホテルに移動しました。臨時避難所だったため、食糧や避難物資は支給されることがありませんでしたが、自宅マンションも壁に亀裂があったため建物の中に入るのが怖く、3日間臨時避難所で過ごしました。
母国の家族の反応はいかがでしたか。
母国の家族には、インターネットのスカイプを使って安否のメッセージ送りました。その後、家族の方から何度も電話したようですが、つながらなかったためかなり心配をかけたようです。
家族と連絡が取れた後、帰国しなさいとまでは言われませんでしたが、放射能の影響を心配して東京や関西に移動する様電話する度に言われましたが、交通機関の影響で東京や関西には行けない状況でした。父親は、毎日中国側で報道しているニュースを見て心配しているようでした。父親から中国のニュースをメールで毎日もらっていたのですが、日本の報道と比べて温度差があるようで、なかなか理解してもらえませんでした。結局、日本でも中国でもない第三国の情報を中国語訳にして父親に説明し、理解してもらうことができました。
今回の震災で日本に対して感じたことはありますか。
臨時避難所にいる3日間は全く食糧がなかったのですが、東北大学を中心とした周辺大学の学生ボランティアが臨時避難所でチョコレートを配布したり、隣に座っていた、親子からお菓子を分けてもらったりと本当に助かりました。
また、大学時代の日本人の友人が山形(仙台から西へ50km)に住んでいるのですが、心配して電話をもらい、その後すぐ車で迎えに来てくれて、1週間ほど山形で過ごしました。 震災が起こる前も、知り合いや、全く知らない人でも思いやりがあって本当に優しくしてくれる環境が日本にはあると思いましたが、震災を経験して色々な人に助けてもらい、改めて日本人の他に対する思いやりを感じ、本当に感謝しています。
現在の生活や就業などの状況はどうですか。
就職先が東京だったため、3月下旬に仙台から東京に引っ越しをしました。引っ越し業者と交渉してなんとか3月中に引っ越しをすることができました。
東京の生活は、ライフラインも、スーパー、コンビニエンスストアの品揃えも震災前と変わらず生活をすることができましたが、電気については、電力不足で計画停電(電力不足を補うため、場所、時間を決めて計画的に停電を行うこと)を実施していました。会社は都心部にあったため計画停電は実施されず、あまり影響はありませんでした。4月8日には計画停電も終了し、それ以降は平常通りの生活を送っています。
今回の電力不足により、1人1人に節電意識が浸透して環境的には良いことだと思います。
今後の復興について思うことを教えて下さい。
日本は他の国より、技術力や経済力があるため早く復興が出来ると思います。私もインフラ設備を取り扱うメーカーに就職したので、今後仕事を頑張ることが日本の復興の助力になると思うので頑張りたいと思います。
