出身地:中国遼寧省

震災時の様子をお聞かせ下さい。
地震があった時は、友人を乗せて車を運転して仙台駅に向かう途中でした。はじめ何が起きたか分かりませんでしたが、周りの車が止まっているのを見て自分も車を止め、何が起きていることを知りました。友人に電話をしても繋がらず、地震から10分くらいたってから車のラジオで大きな地震が発生していることを知りました。母国では地震の経験がなく、とても不安を感じました。ラジオから津波が発生していることを聞き、不安が高まりました。
  そして、停電で信号も消えている中を友人と自宅近くの避難所に車で向かいました。避難所では配給の食糧もなく(高齢者や子供が優先で配布していたため)何よりも寒かったので自宅に布団を取りに戻り、避難所に止めた車の中で友人と一夜を過ごしました。
翌日の夜、自分の住んでいる寮のライフラインが復旧しないことを知り福島県会津若松市(仙台市から南西方向に約190km)の友人宅(中国からの留学生)に1人車で向かいました。
会津若松の友人宅に着いてからニュースで原子力発電所の事故について知り、翌日、会津若松に住んでいる留学生10名と今後について相談しました。そして、安全なところに避難しようということになり車4台に分乗して東京の友人宅に向かいました。
東京到着後、友人達と別れ一人で大阪の親類宅に向かいました。そして、4月4日に仙台に戻るまで親類宅に滞在しました。
母国の家族の反応はいかがでしたか。
中国の家族とは地震発生後に電話で連絡は取れました。とても心配していましたが、安全なところに避難したことを伝え安心してもらいました。
中国のこの地震に関するニュースは日本の報道の内容とさほど変わりませんでしたが、インターネット等での噂話が過熱していて、不安を煽ってるようでした
中国大使館からも帰国するようにと連絡をもらいましたが、原子力発電所から100km以上離れれば安全だろうと判断し大阪にとどまりました。
その後、4月中旬に病気療養のため一時帰国しましたが、両親に放射能の影響を心配され再来日することに理解をしてもらえませんでした。安全だということを何度も説明し、そして無理をしないということを条件に再来日することとなりました。
仙台に戻ってから現在の状況はどうですか。
仙台に戻ってからは、それまで暮らしていた寮から新しいアパートへと引っ越しをしました。地震前に契約していた新しいアパートは、ライフラインも復旧していたし、大阪で食料を買い込んできたので普通に生活することが出来ました。
その後4月8日に大きな余震があったのですが、研究室の飲み会で居酒屋にいました。店内が停電しビックリしましたが、ケガもなく無事でした。
現在、仙台市内は水道・電気・ガス等のライフラインは既に復旧していますし、スーパーやコンビニエンスストアにも震災前と同じように品揃えが豊かになっています。街も震災前と変わらない活気が戻ってきています。
どのようなボランティア活動をしましたか。
大阪に滞在中、大阪大学の留学生や日本人学生が参加しているサークルのメンバー20名と繁華街で募金活動を行いました。募金を始めるまでは遠い東北での地震について募金してもらえるか心配でしたが、多くの方々に協力してもらえてうれしかったですし感動しました。
今後の復興について思うことを教えて下さい。
私は、日本の大企業に就職し、長く日本で働いて活躍することを夢見て日本に留学することを決めました。
そして、お世話になった仙台に恩返しするためにも、街の復興に少しでも役に立つことが出来ればと考えています。
私の友人の中にもまだ日本に戻ってきていない人もいますが、両親が心配してのことだと思います。今の私がそうですが、仙台は地震の被害から復興してきています。ですから、安心して仙台に戻ってきて欲しいです。また、多くの人にこの素晴らしい街を訪ねてきて欲しいと考えています。
