出身地:韓国

震災時の様子をお聞かせ下さい。
地震の時は、東北大学青葉山キャンパスにある研究室(5階)で自習をしていました。研究室の中はいろいろなものが散乱していましたが、幸いにも研究室のメンバーは誰もケガをしませんでした。
今回の地震では昨年10月に東北大学で地震災害を想定した避難訓練を行っていたことが役に立ち、その時の訓練通りに教授や職員の方の指示のもと、冷静に避難することができました。また、大学側でも災害に備え研究室に人数分のヘルメットを設置しているなど事前の防災訓練を含めた日本の防災教育・対応に非常に感心しました。
  私は来日して8年になるのですが、2005年に一度大きな地震(宮城県沖地震)を体験していましたが、今回の地震は比較にならないほど大きく驚きました。
一次避難先(研究棟前駐車場)での安否確認後、大学の職員の方から1人ずつ乾パンや水などの避難食をもらい自宅へと戻りました。
家の中は家具が倒れたりせず問題ありませんでした。その夜、家に大家さんが訪ねてきてくれて避難所へと向かいました。避難所ではゼミの先輩達と合流し、一緒に過ごしました。食べ物にはあまり困りませんでしたが、少し寒かったです。
避難から4日後には電気もガスも復旧したので自宅に戻りました。しかし、近くで水道管が壊れたため3月下旬まで水道は普及しませんでした。復旧までは、近所の給水所から毎日運んでいました。食料はスーパーに並んで買ったり、知人に分けてもらったものを食べていました。
母国の家族の反応はいかがでしたか。
韓国の家族には地震の2日後に電話連絡することが出来ました。早く韓国に帰ってくるように言われましたが、長い間一緒に苦労してきた教会の友達や仲間たちと、一緒に頑張って今を乗り越えたいという思いが強かったため、「戻る」「戻らない」で言い合いになりました。韓国でもこの地震に関するニュースは流れており、特に母親が津波の映像を見て心配していました。その後も原子力発電所のこと、また、水素爆発の報道の後はさらに心配していました。
韓国のこの地震に関する報道は、過剰な内容のものが見受けられました。日本の報道内容は問題解決に向かっているという内容の報道でしたが、韓国の報道は対岸の火事に過剰反応している様にも思えました。しかし、韓国にいる両親にしてみれば自国の報道の方を信用していたので、私が日本の報道内容を話してもなかなか理解してもらうことができませんでした。
結局、韓国にはゴールデンウィーク前(4月下旬)から10日間ほど戻りました。戻ってからは親族や友人達から厳しいことを言われました。しかし、両親には自分の行動、考えを理解してもらえたのか、何も言わずに日本に送り出してもらえました。
どのようなボランティア活動をしましたか。
韓国総領事館(仙台)と仙台国際センターでボランティア活動をしていました。
韓国総領事館では、3月末まで電話相談や帰国希望者向けのバスの予約を担当しました。
仙台国際センターでは、センター内に設置された「多言語支援センター」で地震に関する仙台市の資料の韓国語への翻訳作業や、韓国語での電話相談、市内各地の避難所での出張相談を担当しました。パニックになって電話をしてくる方もいて対応はとても大変でした。ただ、困っている人に対して少しでも役に立てるようにと頑張れたことは、よいことだと思います。
今回のような場合、日本語が不自由な外国人にとって「多言語支援センター」のような母国語で支援や情報提供をしてくれる施設の設置は不可欠だと思います。自分達も大変な中、このような対応をしてくれた仙台国際センターの方は本当に素晴らしいと思いました。
今後の復興について思うことを教えて下さい。
阪神大震災が起きた時、私は小学5年生でした。そのことを伝えるニュースで、被災者の方々が避難物資を受け取るのに秩序正しく並んでいる姿に感動を覚えました。今回、仙台でも同じように秩序正しく並ぶ人達を実際に自分の目で見て感極まりました。この倫理意識は世界的にも素晴らしいことだと思います。
また、アルバイト先の方から造園のアルバイトでお邪魔した家が津波で流されてしまったことや得意先の方が津波の犠牲になったことをお聞きし、何もしてあげられない自分にとても悲しい気持ちになりました。
私は仙台にいる時が一番落ち着きます。早く復興して、素敵な仙台での生活できるように、美味しい松島のカキを食べられるように、元気な宮城、仙台になってほしいと考えています。そのためにも、自分として出来るお手伝いをしていきたいと思います。
