出身地:マレーシア

震災時の様子をお聞かせ下さい。
ルームシェアしている友人と二人で自宅(マンション6階)にいた時に地震にあいました。来日1年目の2008年にも岩手・宮城内陸地震で大きな地震を体験してはいましたが、マレーシアでは地震がないことと、2008年に経験した地震よりも大きな揺れでとても怖かったです。
来日当初に仙台国際センター(財団法人仙台国際交流協会)での防災講座(訓練)で地震の際の対応を教えてもらっていたので、今回の地震でも、玄関や窓を開け避難路を確保してから机の下に入り、揺れが収まるのを待ち冷静に対応することができました。2分ほどで揺れは収まりましたが、部屋の中は本などが散乱して大変でした。揺れが収まった後にマンションの廊下で隣の部屋の日本人のおばあさんに「おばあさん大丈夫ですか、一緒に避難しましょう!」と声をかけて、おばあさんを背負い友人とマンション玄関まで一緒に階段を降りて避難しました。
その後、近くのマンションに住む友人と合流し、指定された避難所(片平丁小学校)に向かいました。避難所には、約600人の避難する人たちもおり、そこでマレーシア出身の留学生15名と一緒に5日間滞在しました。その間、食べ物や毛布などは足りていました。また、近くに住む日頃お世話になっている日本人の方が避難所へ避難していなかったので、食糧を届けたり、部屋の後片付けを手伝ったりしていました。
避難所から一度自分達の部屋に戻った次の日に、マレーシア大使館から東京に避難するよう連絡があり、3月17日に大使館が手配してくれたバスで東京のマレーシア大使館に向かいました。大使館には5日間滞在した後、仙台に戻りたい気持ちが強かったのですが、仙台にいるホストファミリーから「私も南相馬にいる親が心配。シャリールのご家族も同じだと思う。一度マレーシアに戻って、ご両親に会い安心してもらった方がいいのでは」とのアドバイスもあり母国へ一時帰国しました。
母国の家族の反応はいかがでしたか。
母国の家族には地震発生直後に電話で無事を伝えました。その時、「しばらくの間、電話がつながらなくなるかもしれないけれども、大丈夫だ」と話しました。その後、家族や友人達とは携帯電話の「facebook」で連絡を取り、街中や避難所の様子を撮った写真を載せたりしていました。
また、もっと被災地のことを知ってほしいと考えていたら、母国の友人の一人が、「facebook」で載せていた現地の写真を使って今回の震災のブログ(日本語、英語、マレー語)を立ち上げてくれました。このブログは、立ち上げたばかりにもかかわらず、世界中で多くの方がアクセスしてくれたことを知って嬉しかったです。
母国には10日間ほど帰国したのですが、帰国する際、自分が仙台を離れることが仙台の人達にとても申し訳ない気持ちがいっぱいで、マレーシアの家族には事前に連絡をせずに帰国しました。無事な姿を見て、両親はすごく喜んでくれました。
けれども、母国で震災のニュースを見ていると早く仙台に戻りたいという気持ちが強くなってきました。
マレーシアでの地震に関するニュースは、大げさな内容のものが多く見られました。特に、原子力発電所の問題については、マレーシアには原子力発電所がないこともあり両親も凄く心配していました。けれども、ニュースで報道されているほど危険ではないことを両親に何度も説明をしました。母親は日本に戻ることには反対でしたが、父親は理解してくれました。そして、仙台にもマレーシアから多くの避難物資が送られていることをニュースで知り、その避難物資を避難している人達に早く届け、困っている人達の少しでも役に立ちたいと思い仙台に戻りました。

どのようなボランティア活動をしましたか。
仙台に戻った後、マレーシアやインドネシア、パキスタン、バングラディシュなどから支援物資が送られていた「イスラム文化センター」に行き、支援物資の仕分け作業や避難所への運搬、南三陸町や名取の避難所への連絡、炊き出し等に参加しました。
南三陸町(仙台から北へ90km)には、今も毎週末炊き出しに行っています。炊き出しでは、マレーシア料理やインドネシア料理などを提供しました。避難所では同じメニューが続いていたこともあり、私たちの料理を喜んでくれていました。
ボランティアへは、他の人の役に立ちたいという思いと仙台でお世話になった方々への恩返しのつもりで参加しました。そして、被災地に毎週行っていると人々や街が少しずつ復興していく様子がわかり、自分のことのようにとてもうれしかったです。
今後の復興について思うことを教えて下さい。
現在、私は日本企業での就職を目指し就職活動をしていますが、あまりうまくいかず自信をなくしかけていました。しかし、今回の震災を経験してボランティアに参加し活動したことでもっと日本の復興のために役立ちたいと思うようになりました。
これから就職活動をがんばって、日本企業に就職し日本企業で働くことで、日本の復興のために力になりたいと思うと共に、自分の目で世界有数の技術力を持つ日本が復興していく様を見ていきたいと考えています。
